前回のコラムでは、ファミリード設立からの歩みを振り返り、私なりの子育てのゴールを述べました。今回は、娘の中学受験の経験を通して、大学の総合型選抜入試に関して思うことを書きたいと思います。
友人がI T人材を育てる研修の仕事に携わっていて、驚いたことがあると話してくれたのですが、I Tに配属された新入社員の理系・文系の割合が、文系の方が多いことが珍しくないと言うのです。もちろん企業やその年によりけりだけど、講義についていくのがたいへんな文系出身の新人さんもちらほら見受けるとのことでした。
韓国出身のある新入社員は語学力のハンディがあるもののとても優秀。
大学でITの教育を特に受けていないと言う割にすでに詳しそうなのでなぜが聞いてみると、国が提供している授業を無料で受けたと話していたそうです。
その話を聞いて、日本ではI T人材の不足をどう見ていたのか、何か手を打ったのか調べてみました。
「I T人材は2030年に79万人不足と予測」と経産省が2016年に発表しています。しかもその時点で不足は17万人と推計。
内閣府でも色々と施策は練って実行されているようですが、結果を示すデータは見つけられませんでした。
ぜひ行政にも引き続き頑張っていただきたいですが、それを許してしまっている国民の政治家を見る目の優劣は置いておいたとしても、保護者としてできることはあるのではないでしょうか。
私が普段感じていることが3つあります。
一つは、進学は進学、就職は就職とぶつ切りで選択している人が多いのではないかと言うことです。
その結果、勉強を無我夢中で頑張って、一流言われる企業に就職したけど、自分がやりたいことではなかったと、30歳過ぎてから自分探しを始める。
・・・なんてことが繰り返されていないでしょうか?
もう一つは、有名大学、有名企業と人目を気にした評価指標を最優先しているようにも見受けます。直接的に言葉にはしなくても、「大きいから安心だね」と言う返答はよく聞きますが、勤める企業規模が大きくても一生安泰という時代ではないのですが。
大きい分、人としての倫理観を省みることができず不祥事が明るみに出る企業が続出していますね。
最後にもう少しぶっちゃけてしまうと、我々は受験ビジネスにはめられていると私は確信しています。保護者が受験不要と思っていても、子どもたちが学校や友達から影響を受けます。
私の娘も中学受験の必要はない、と思いそのように本人とも同意したつもりでしたが、だんだんと遊ぶ相手が少なくなり、通学途中でも教室でも友達は塾の話ばかり。
疎外感は半端なかったようです。
「私だってやればできるのに。」
そう思ったようでした。
結局5年生の秋から塾に通い始めなんとか志望校に合格することはできましたが、夏休みや冬休みのある月の塾代は目玉が飛び出るかと思いました。
私の会社員時代の手取りを遥かに超えた金額です。
でも私は未だにそこまでお金と労力をかけてまで進学する必要があったのかわかりません。
言わずもがなですが、地方で公立の学校のみ進学し、子どもらしく遊んだり部活に勤しんだりと健全な学生生活を過ごした子どもたちでも優秀で自分の道をしっかりと切り開いている人たちは大勢います。
結論としては、受験地獄にハマりたくなかったら、都会に近づくな、としか言いようがありません。残念ですが、それが私に唯一できるアドバイスです。
話を元に戻しますが、苦労して受験した先にも何かと苦労はあり、宿題と部活で毎日アップアップしています。隙間時間でスマホをいじったり友達と遊びに出かけたりと、ほとんど家でゆっくりしている時間はありません。
何か新しいことを経験してみようと誘っても疲れ切っているのか、滅多に誘いに乗ってきません。これでは、自分のことを深掘りしたり、将来のことを考えたりする余裕がないのも仕方がないのではないでしょうか。
私は子どもにはできるだけ早く軸みたいなものを持って欲しいと思っています。
具体的な職業名は挙げられなくても、自分はどんなことをすると楽しいのか、どういう生活だったら希望が持てるのか、どんな仕事だったら生計を立てられそうのか、その延長線上に職業選びがあり、学校はそのための手段を学ぶ場であり、学校選びにも必然的に繋がりが出てきます。
私はそれが自然な生き方だと思いますが、自分軸で選択した人たちは「優秀な学校に行ける実力があるのにX Xちゃんはこちらの学校をなぜ選んだのか」と周りに変わり者扱いされているかもしれませんね。
その発想自体、「偏差値」でしか評価していないと思うのですが。
逆にある塾の広告で「学力が足りなくても志望校に合格する方法がある」と言う触れ込みで総合型選抜入試を薦めているのをよく目にします。
確かに総合型選抜入試の倍率は学力試験に比べて緩やかな大学や学部も多いようなので、嘘ではないのでしょうが、総合型選抜入試の本来のあり方からするとその本領を発揮させられないのではないかと危惧します。
興味本位で説明会に冷やかしに参加したところ、どう論文を書けばいいのか、対面での効果的な訴え方と、やや小手先と思えるテクニカルな指導にとどまっているようにしか見えずとても残念でした。
もしその塾が、「子どもの特性や嗜好を見極め、人生の目標を本人とともに立てて、経験を積ませるサポートをする」と言う授業内容だったら入塾を考えたかもしれません。
そのほうが個別化されるのでよほど高い授業料が取れるのにな、といやらしくも思ってしまいますが、赤の他人には難しいことなのでしょうか。
子どもの頃から我が子がどんなことに興味を持って、どんな時に楽しそうにしていているのか、最も長い時間を共有している保護者だからわかることかもしれません。
人は暇な時に好きなことをします。
ところが、暇さえあれば才能教育だとか習い事を増やしてしまっていませんか。
子どもが目をキラキラさせながら「これやりたい!」と言うことにどれだけ真剣に向き合ったでしょうか。
そう言う点で私は後悔することが多々ありました。
中三になった娘に将来やりたいことは何かを聞くと、何もないと答えます。
この年齢になると、自我が確立している子どもが多いので、自分の意思に反する行動を促しても中々首を縦には振りません。
多くの経験をさせるのはもっと早くに着手しなければいけなかったようです。
「何もない」ことが悪いと言うわけではありません。
それぞれの個性やタイミングというものがあると思います。
でも、何もないと教育ビジネスの恰好の餌食になり得ますし、本当に何もないとは思えないのです。
その個性とキャリアと繋げるという視点を保護者が持つのと持たないのとでは、将来は大きく変わるような気がしてなりません。
もう少し気長に待ってみて、本人が目をキラっとさせた瞬間を見逃さずタイムリーにサポートしたいと思っています。
2023/12/26
代表 星谷みよ子